堀川三郎(法政大学)
牧野厚史・前会長の後任として,このたび会長になりました堀川三郎です。就任にあたり,皆様にひとこと,ご挨拶を申し上げます。
1990年5月,学会の前身である環境社会学研究会の設立大会に参加した時,私はまだ修士課程を終えたばかりの大学院生でした。全国から馳せ参じた53名のうち最年少だった私は,その熱気と興奮にあおられて「ここで頑張ってみよう」と思ったことを,いまでもよく覚えています。その後,設立大会が開かれたその教室の斜向かいの部屋で自分が環境社会学講義をすることになるとは,ましてや「会長挨拶」を書く事になるなぞ,当然ながら,思ってもみませんでした。
そうしたことが可能になったのも,すべて,学会運営に携わった方々がいたからです。歴代の会長,理事会の方々に心からお礼を申し上げます。特に前会長の牧野氏,前事務局長の福永真弓氏には,引き継ぎ作業を通じて一方ならぬお世話になりました。ありがとうございます。
さて,任期の始めの私の抱負は,シンプルなものです。より具体的に申し上げるなら,下記の二点ということになるでしょう。
第一に,学会財政の改革です。現在の学会は,単年度赤字の状態にあります。つまり,学会自体がサステイナブルではないということです。前期理事会のご尽力により,事態は相当に改善されてきており,感謝に堪えません。それでもまだ,厳しい状況が続いています。これは早急かつなんとしても改善していかなければいけない課題です。ゆえに,最優先で取り組んでいくつもりです。もっとも,もっぱら会費収入に頼る本会にできることは限られています。支出構造を精査し,何らかの方策を見つけていきたいと思います。
第二に,日本の環境社会学の「国際化」を進めていきたいと思っています。学会の財政がままならぬ状況にあっては,大風呂敷を広げるような物言いですが,それでも方向性として,考えていきたいと思っている事柄です。ここで言う「国際化」とは,皆さんが想像したものとは,おそらく異なっています。通常,想定される「国際化」は,英語で論文を書くこと,海外で名の通った学術誌に英文論文を掲載することでしょう。それは,環境社会学という学問への知的貢献であると同時に,自らのポジションを獲得する・安定化する・向上化させるためのものでもあるはずです。安定したポスト獲得,キャリア形成のために,英語での業績発表がますます不可避になってきていることは,周知のとおりです。もはや英語での業績なくして,学振PDに採用されることは難しいでしょう。こうした学術出版における英語中心主義とでもいうべき状況下で生き残るためには,個々の研究者がそれぞれの努力で対応していくしかありません。英語中心主義に対抗していく戦略としての国際化——これが一般的に想起される国際化でしょう。いわば「対抗としての国際化」です。
私が考えているのは,上述のような「対抗」ではない,「対話としての国際化」です。出版された英文論文の数を競うのではなく,異なる理路をめぐって対話すること,と言い換えてもよいでしょう。登山に例えるなら,結論は頂上です。しかし,頂上への道筋はひとつだけではありません。辿り着いた頂上は同じであっても,登ってきたルートが違う場合もあるはずです。ですから,海外の研究者と同じ頂きに座りながら,異なる登山ルートをめぐって語り合うことをしよう,ということです。
研究に引き付けて言い直すなら,日本語圏の研究者が非日本語圏の研究者と同じ結論に達したとしても,そこに至る筋道(理路)が違うということは十分にありえることです。そうであるなら,出会った複数の理路がどのように違うのか,どうして違うのか,そしてその違いは既存の理論をどのように刷新していくのか——このような対話を重ねることこそが,「対話としての国際化」なのです。
これは,抽象的で役に立たない理念ではありません。私が実際に経験したことです。拙いものではありましたが,長年の夢が叶い,英文で単著を刊行した途端に起きたことでもあるのです。「君の結論は,僕のものとほとんど変らない。だが,その理由付けが全然違う。旅費は出すから,ぜひともこちらへ来て,話し合おう」。言語も文化も,学問的背景をも異にする他者と,異なる理路をめぐる対話が,まさに海を越えて始まったのです。
それは実に心楽しい経験ではあったものの,冷静に見つめ直すならば,喜んでばかりもいられません。英語という言語圏が知の中心部を形作り,学問における基準をも構成していく「英語の世紀」において,日本語圏は不可避的に知の周辺部に位置づけられてきました。その構図を前提とするなら,拙著の刊行は,知の周辺部に位置する日本の一研究者が,膨大な時間的コストを費やして,知の中心に位置する出版社から研究成果を刊行したということであって,英語中心主義の不平等な構造の再生産に寄与してしまったともいえるでしょう。研究者個人の生存戦略としては合理的であったかもしれませんが,「異なる理路」はどうなるのでしょうか。そう,話は実に複雑です。なにしろ,英文で刊行したからこそ,対話が始まったのですから,拙著刊行をそのように貶める必要はないのではないか。しかし,私は考えざるを得ないのです。「異なる理路」を英語以外の言語で発表することの対話不可能性。英語で書く・刊行する過程で微妙に失われていく「異なる理路」の内実。しかし,そのことによってのみ拓かれる対話の可能性。
私が第二の課題としたいのは,対抗としての国際化を含みつつ,それに収まり切らない制度的側面についてであるように思います。個々の研究者の生存戦略としての国際化を手助けしていくだけでなく,「異なる理路」の内実を失わないために,東アジアの研究者達と対話を続けていく制度的基盤を用意するということが想定されている,ということです。どこまでできるかは不明です。財政的基盤が弱い現状では,多くの困難が予想されます。しかし,頂上に吹く心地よい風の中で対話するひとときを学会員に提供することができるなら,それは学会として,ひとつの達成であるとも思うのです。
2023年6月